自分を愛子様と同一視しようだなんて畏れ多いことを思うつもりはないけど…。ふつうの感覚でいえば、陛下と雅子様の大切な娘さんである愛子様を思うとなんにもいえなくなるんだ。私自身は自分の番が早く終わってほしいのに、愛子様には公務を通じて寄り添っていてほしいと思わずにはいられないんだ。私より若い一人のお嬢さんだけど、皇族の方だからといって、やさしさや温かさを私達にもたらしてほしいと思うのは日本人として普通の感覚なのかな。傲慢ではないのかな。
名前になんの意味や価値があるんだ、アイデンティティとはラベルそのものではないはずだ。ラベルは呼び方に過ぎなくて、その人に対する思いは呼ぶ側と呼ばれる側によっても異なる。
血統は周りが認めることで成り立つ客観的合理性を伴うものである。
国民に寄り添うとは、国民に問い続けることですか。国民が決めたことを実現させると誓おうとしておられるのですか。こんなに一生懸命な陛下の思いはふわふわとシャボン玉みたいに宙に浮かぶような問なのか、あるいは熱い鉄のように礎を支えようとしているのか。
当方は田舎の一般家庭。期限切れの毒女が道草食って能書き垂れたところで滑稽。
私と同じ名前の人は既に家系に居る。珍しい名前じゃない。同じ名前の別の人。意味はない。佳作は「惜しかったで賞」なやつ。それが私。
私が獲った佳作は書道。他の子どもの言動が気になって、自分の書道に集中できなくて、ずっとイライラそわそわしてたのを覚えてる。力いっぱい元気よく書けばいいのかと思って試せばガサツな仕上がりだった。小学校中学年ともなればそれだけで表彰されるものでもなかった。周りが優秀なんだ。先生のお手本や朱を入れてもらう時の手元を何よりも集中して見てたように思う。筆遣いのリズムが気になった。結局書道はイマイチ好きだと思えないまま通った。それもまた贅沢な話だ。それでも名簿に自分の名前が記されていると嬉しかった。もっと上の賞にも下の賞にも同世代の、会って話したこともない書道仲間がいるんだなと思い、安心した。白黒印刷の紙面に名前が載るのは誇らしい気持ちになった。書道ってなんだか良い子のお稽古事って感じだし、良いとこのお坊ちゃんやお嬢さん達と名前を並べてもらえたのかも、とか妄想した。この頃から既に馬鹿だ。
先月紫陽花見に行ったので。







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